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プロフィール−競技ダンス

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競技ダンス(アマチュア)のランク【2007年現在】
カテゴリランク
モダン JBDF:C級
ラテン JBDF:A級



下記に、私が社交ダンスを始めた経緯を紹介させていただきます。
現在の社交ダンスの活動については、競技ダンスのページをご覧ください。
<大学一年>
<大学二年>
<大学三年>
<大学四年>



<大学一年>

私は大学1年生から社交ダンスに関わっております。

大学にある社交ダンスのサークルに所属(舞踏研究会といいます)
しており、そこで数名の先輩&後輩と活動していました。

しかしながら、練習会・合宿には参加せず、
大学の授業の合間の休憩所として部室を利用していただけでした。
そして他のサークルの活動に日々邁進していました。

しかし学生のダンスの大会に関しては、見学や出場はしていました。
ただ、ダンスがよく理解できなかった為、
頭数をそろえるだけの参加となっていました。

そんな感じであったため、大会では予選落ちは当たり前で、
遅刻し開会式に間に合わない、靴を忘れた、進む方向がわからない、
出場する種目がよくわからない等の事件をよく起こしてしまい、
先輩方に迷惑ばかりかけておりました。

しかも、自分の大学の全選手が敗退した後も、大会全体が終わるまで
全員帰ってはいけないという決まりがありました。

応援すべき先輩、仲間がいない状態でダンスの大会を見続ける事は、
当時の私にとって大きな苦痛でした。

そんな私を気遣ってか、先輩(四年生)が昼寝スポット(倉庫のマットの置き場)
を紹介してくださり、大会が終わるまで仮眠をとったりしていました。

しかし、他大学の見回りの人(ニ年生くらい)によく見つかっては、
先輩と一緒に怒られていました。

このように、学生の社交ダンスは規律が重んじられる面があり、
ダンスに純粋に興味がなかった私にとっては馴染み難いものでした。

しかし、先輩や仲間たちは優しく、私のような人間でも受け入れてくれ、
社交ダンス部自体は心地よい場所でした。

このページの先頭に戻ります。

<大学ニ年>

しかしそんな時期も長くは続きませんでした。

新入生が部室に現れるようになってからは、
さすがに居心地が悪くなってしまいました。

それはダンスの質問をされたりするからです。

そのため、少しずつダンスをやる事にしました。
意を決して練習会に参加する事にしました。

練習場は普段授業を受けている教室で、
椅子や机を片付けて利用していました。

授業がすべて終わってからの活動でしたが、
間違って同じクラスの友人に見られたら困るなあ
とヒヤヒヤしました。

自分が練習に参加するようになると、
いきなり大きな大会(東部戦)に出場する事になりました。

その他にも、いろいろ抵抗ある出来事がありましたが、
持ち前の無神経さがよい方向に発揮できたせいか、3年生になる頃には
いろんな事を抵抗なくこなせるようになりました。
(ここで挫折する友人が意外に多かったようです。)

その後、同期・後輩が何人もサークルから脱退してしまい、
男性(競技ダンス界ではリーダーという)が同期では3人となり、
女性(パートナー)の同期に至っては2人の、
計5人となってしまいました。

自然と自分が後輩と組む(通常は同学年同士が組む)事になり、
4年生は引退し、3年生は就職活動に入り、
自分たち同期の重荷が増加してしまいました。

ここから、サークルの存在意義を日々問いたださざるをえないような、
つらい日々が始まりました。

練習会も最少で3人くらいしかこなかったり、
参加者少数の為合宿も中止にしたり、
もはや友達のグループよりも少人数の、
わけのわからない集団になっていました。

そんな中、ちゃんと練習会に来た後輩には、
ラジオ体操のようにハンコをカードに押し、
ある一定数たまると図書券をあげたりしていました。
その他にも後輩の食いつきのよいように、
新しいダンスのスタイルを模索したり(縦のホールドを編み出しました)と、
いろいろ策を講じていました。

冬も終わるころに、自分たちの心の中では、
「もう新勧(新入生のサークルへの勧誘)に賭けるしかない!」
という気持ちで一致団結していました。

そこで下記のような作戦を練り上げました。

@やさしそう&まじめそうで、地方の新入生に声をかける。
└→地方だと一人暮らしで仲間にしやすい。

A声をかけたら、部室になんとか連れ込む。
└→連れ込み係と部室でのトーク係振り分ける。
└→とにかく腰をすえてじっくり話してみる。

B部室ではとにかく楽しいサークルであることを話す。
└→マイナス要因は一切言わない

Cイベントを盛りだくさん行う
└→定期的に入部しそうな新人の動向をチェック
└→楽しいことが次から次へと起こる部だと思わせる。

D部の全員の名前・特徴等を把握しやすくする。
└→新入生を含めた部員全員の紹介用小冊子をすぐに作成・全員に配布する。
└→はやくお互いに名前・プロフィールを覚えてもらい、会話しやすくする。

E練習会は厳しく、そのあとはやさしく
└→メリハリをつけることにより、ある種の充実感を共有する。
└→規律の乱れ(時間どおり集まらない等)によるグダグダ感を防ぐ。

Fとにかく「ダンスが好き」みたいなことを言うまではやさしくする。
└→ダンスが好きになってくれれば、後は自然と練習するはず。
└→逆にダンスが好きにならないと、長続きしない。

長い歴史ある部でしたが、
「新歓が失敗したら、もう部はつぶそう!!」と勝手に決めていました。

でも、失敗の不安よりも、みんなで必死に作戦を練って実行するという行為が
とても楽しかったのを覚えています。

特にCの小冊子(「BAPS」という)のコンセプトを決めている時は
いろんなアイデアが湧き出てきて、主将と二人で相模大野のホームで
何時間も話し合い、なかなか電車にのれなかったという記憶があります。

また、こうした決まりを作る中でも、
ただ決まった事をみんなで把握するだけではなく、
「なぜこの決まりを作ったのか」という根本の部分を理解する事により、
マニュアル的・受動的でなく、全員が臨機応変・能動的に動けるようにする、
という事を心がけました。

そのために全員(といっても7〜8人)でのミーティングを繰り返しました。

とにかく「これだけやれば成功するんじゃないか?」
と思っていました。

このページの先頭に戻ります。

<大学三年>

入学式も終わり、ついに新歓が始まりました。
初めて新入生を見たときはなぜかドキドキしました。

みんなの予想外の好プレーが続出し、想像以上にうまくいき始めました。
そんなみんなに自分も触発され、新入生を一生懸命もてなしました。

その後もミーティングを度重ね、さまざまな規則・方針を決め、
結束を固めていきました。

一つがうまく行きだすと、連鎖していろんな事がうまく行くようになり、
夏になっても40人近くの新入生が練習会に参加していました。

もう3人だけで練習会をする事もなく、
自主練習に行っても必ずみんなが練習していて、
それを指導するのに精一杯でした。

大会前になると、あちこちから「教えてください!」と声がかかり、
うれしかったのを覚えています。

その後の合宿・大会もとても盛り上がり、
練習会や自主練習に向かうのがとても楽しくなりました。

自分の舞踏研究会の活動の中で、一番毎日が楽しかった時期でした。

今思うと、自分自身のダンスよりも部の人数を増やしたり、
みんなに教えたり、運営について考えたりするほうに夢中でした。

しかし、次第にそういった自分の大学生活に、
かすかな違和感を覚えるようになりました。

みんなが元気にダンスをやるのを見るにつけ、
自分の役目は終わったのではないか?という気分になりました。

それは、もはや自分がいなくても、
部は繁栄できるだろうと感じたからでした。

そこで、ここまでの自分の活動を振り返ると、
「最初はだらだらしてたが、部が潰れそうになったので、焦って人を集めた」
という感じだなあと思い、
「せっかくダンス部に入ったのだから、ちゃんとダンスと向き合ってみよう!」
という気持ちになりました。

大会のない時期(3月)だったので、
アマチュア戦(大学生に限らず誰でも出場できる大会)
からトライしてみようと考えました。

そこで、ますはJBDF(日本の社交ダンス団体で最も大きな団体の一つ) の※ノービス戦に出場してみました。

※ダンスの級:A>B>C・・・・F>G>ノービス|1級>2級>3級
(2006年現在)

参加者をよく見ると、他の大学の下級生も出場していました。

他大学の選手に関しては、「下級生だとしても自分より実力が数段上だ!」
という印象をもっているので、正直ヤバいなあと思いました。

案の定、惨敗でした。

しかし、自分の心の中に変化がおきた事に気づきました。

通常なら敗退直後から惰眠を貪るところですが、
悔しい&まずいという焦りの感情が芽生え、試合を観戦していたのを覚えています。

とにかく、どうにかダンスに関しても形にしなければ、と思いました。

部員が増え、自分を慕う後輩に教える立場であるはずなのに、
他の大学の下級生に負けてる場合じゃないと思いました。

新しく入ってきた後輩たちには、自分いつの間にか染み込んでしまった
敗北感・劣等感を味あわせたくないと思いました。

その日から、自分に出来る限り練習しようと心に決めました。

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<大学四年>

この年の新人歓迎もうまく行きました。

多くの新入生が入部し、ますます部はにぎやかになりました。

後輩たちも、だんだんよい成績を出すようになり、
それがみんなの競争心をあおり、
自主練習場はどんな時も人でいっぱいでした。

また、私の同期も大きな大会でもよい成績を収めるようになりました。

しかし、私の成績は振るわず、苦渋をなめる日々が続きました。

やはり、他の同級生は一年生から地道に練習をしてきたのに対して、
つい最近練習に目覚めたような人間が、おいそれと追いつけるもの
ではないなと感じていました。

そんな中、最後の試合シーズンの手前で成績に変化が出始めました。

半年前はノービス戦で予選落ちしていましたが、
ノービス戦、※D級戦と決勝に残り、C級になることが出来ました。

※ダンスの級:A>B>C・・・・F>G>ノービス|1級>2級>3級
(2006年現在)

そんな私の変化を見て、部のメンバーたちは
次第に※一部校に昇格できるのではないかという期待も出てきました。

※東部の学連では一部校・二部校の二部制になっています。

正直、私も昇格できる自信がありました。

そして一部校に昇格できるチャンスのある大会、二部戦に臨みました。

結果は、私の成績の不振の為に一部校に昇格出来ませんでした。

その後もよい成績を収めることなく、最後の全日本学生大会がやってきました。

4年間の集大成として臨みました。

一次予選を終わった後は、いつもより調子が良い事、
全力を出し尽くした事を実感し、
試合後に迎える感動のシーンを想像していました。

しかし、二次予選を踊る事はありませんでした。
ほかの同期もいつもより成績が振るわず、最悪の幕切れといえるものでした。

これをもって学生時代のダンスの活動は終わりです。
もう二度とダンスはやらないだろうと、
最後にダンスシューズを会場のゴミ箱に投げ捨てました。

この時「自分では努力したつもりだが、全然足りなかったな」
と思いました。

以上が私の学生時代のダンスの活動のすべてです。

今振り返ると、情けない出来事ばかりです。
しかし、最後まで続けた事、仲間を得た事、いろいろ学んだ事は
とても良かったと思います。


●大学卒業後の社交ダンスの活動は、
競技ダンスのページにて記載しております。

(おわり)

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