練習日誌−2003年以前

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日付内容
2003年(通年) 前年より引き続き、富士学院にて日々練習した。

自分たちより数段うまい人たちが多数練習しており、 そういう人たちを見るだけでもすごくよい練習になるなと感じた。

また、どうやったらああなれるのだろうとしきりに思った。

練習場にはほぼ毎日S夫妻がいて、なにかと気をかけてくれ、 ジャイブを教えてもらったりアドバイスをもらったりした。

そのほかにもだんだんと顔見知りもふえ、練習に張り合いが出た。
2002年(通年) この年の5月までは、ずっと「アカデミーホール」(池袋)で練習していた。

6月からは妻の実家の近くの練習場「ファレノ」(十日市場)で練習した。

7月の中旬からは「富士学院」(十条)で練習するようになった。

練習場を変えていった経緯→競技ダンス-2002

7月以降からは平日も練習するようになり、 やや小太り気味の体型も、普通な感じになった。 体も健康になり、ご飯もおいしくなった。

練習場に通う回数が多くなるにつけ、 周りで練習している人たちのふるまいがだんだん目に入るようになった。
中には普通に生活している中では、なかなか出会うことの無いような、
関心をそそられる人たちがいることに気づくようになった。

そうした人を見るだけでも、練習場に通うのがとても楽しくなった。
そのことについては今後少しづつ書いていこうと思う。

2001年(通年) 1999年とほとんど同じような練習。

練習後のあそびの方がメインで、池袋を拠点としていた事から、 ラーメンの食べ歩きや旅行映画鑑賞とかを主にやっていた。

東口のジュンク堂裏手の「屯ちん」という店によく 通っていた記憶がある。(ミニ・ラーメン情報)

その他にも東池袋「大勝軒」で二時間半も並んだり、 立教大学の隣の「ごとう」の味について考えたりと、 ダンスよりラーメンという感じだった。

今思うとダンスに対してのほほんとした取り組み方だったので、 よい成績が出なくても気にしていなかった。
2000年(通年) 1999年とほとんど同じような練習。

ラテンの先生の日本インター仕様のドレスを買った。 「ビデオと同じドレスが!!」と感動した覚えがある。 (ドレスマーケット番号:002)

このころ、ヤナギダで新しく黒の上下の衣装を作成したが パートナーに「太っている」といわれて逆上し、その衣装を 街中で思いっきり投げ飛ばした思い出がある。

しかも結構な飛距離(15〜20m)が出たと思う。
1999年(通年) 社会人一年目の6月より、学連時代のパートナーに 誘われアマチュア時代がスタートする。 社会人になった当初はまったくダンスをやるつもりは無かった。

しかし、私のパートナーが経済的な問題で学連を続けられなくなり、 やむなく退部してしまい、ダンスが続けられないとションボリしてたので、 自分のポケットマネーでたまにダンスするようになったのが、 ダンス再開の理由だった。

練習は毎週土日に、池袋のアカデミーホールにて、 一回の練習時間は2〜3時間程度だった。

おもに4種目を通じて踊りこんでいた。

練習後はいつもサンシャインアルパで買い物&ゲーセンの メダルゲームにハマっていた。

というように、練習はダンスを楽しむ為にやっていて、あまり明確な目標もなく のんびりとダンスを楽しんでいた。だから喧嘩もなく日々平和だった。

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